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青梅・晩秋の色
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作成日時 : 2006/11/21 16:40
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11月21日2日続きの雨も上がり、小春日和の青梅路を散策しました。
紅葉が遅いとは言え我が家の隣の大塚山公園も紅葉を纏い始めました。
今日は自転車で万葉植物を探しながらの散策とし、稲葉家に立ち寄り花菖蒲の状態を確認しました。元気に育ち来年は綺麗な花が咲きそうで一安心。
日向和田臨川庭園
この庭園は、青梅出身の代議士、故津雲国利氏のご遺族から青梅市に寄付された公園です。
園の名称は、故人が生前この地を「臨川梅園」と呼んでいたため、日向和田臨川庭園となずけられました。
開園は昭和59年12月15日、2、857uの広さがあります。
この庭園の北側の道は青梅街道古道とのことです。
臨川庭園だけの散策では時間も余りますので、宮ノ平の見所を少し書きます。
青梅線と石灰石
明治時代半ばになると、石灰の輸送手段として鉄道が注目され、1891年(明治24)日向和田石灰山の開発のために「青梅鉄道創立願」が小沢太平初め16名により提出され、1894年1月には工事が始まった。
立川駅を起点とし、拝島・福生・羽村・小作の5ヶ所を停車場として、青梅までが11月に開通。翌年日向和田(現宮ノ平)間も開通し、総延長20KM余りとなりました。
当時の鉄道は、線路幅69cmの軽便鉄道で、貨車も客車も小さく、子供が走って汽車を追い抜いたというエピソードがあるほどです。
何れにせよ石灰優先の鉄道のため旅客収入5割以下(他は7割)だった。
「青梅線、石より人が安く見え」という川柳があるほどです。
大正時代の「筒井商工石灰窯跡」も宮ノ平で見られます。
写真は臨川庭園のカエデ
1920年(大正9)二俣尾まで延長されました。そのときのトンネル(青梅線で最も古い)がこのトンネルで、宮ノ平駅の陸橋からも見えます。
楯の城跡についても書いておきます。
宮ノ平駅の青梅よりの踏切を渡り、住宅の端の道を登ると、杣保を治めていた三田氏の城「館の城跡」に行けます。今では住宅が建ち僅かに山側に空掘りの遺構を留めるに過ぎません。辛垣城の木戸・東木戸がありました。西木戸は軍畑駅より奥澤橋を渡り登った所の踏み切りの辺り。
臨川庭園は津雲国利氏が生前この地を「臨川梅園」と呼んでいように、春は梅の花が綺麗です。
3月15日撮影
明白院(日向山と号し、本尊勝軍地蔵・曹洞宗)
天正年間(1573〜1592)に天江東岳を開山とし、三田氏の家臣野口秀房を開基として創立されました。その後延享元年(1744)堂宇が再建、天正年間(1912〜1926)に増改築されました。
山門は、木造茅葺の四脚門で田辺右衛門の館の館にあったものを移築されたという。
桃山時代の作風を残しているといわれ、市の有形文化財です。
山門の左側には、市内でも数少ないしだれ梅が美しい花を付けます。
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