始皇帝と大兵馬俑展と赤塚散策

2016年2月12日
月初めから体調を崩してテレビでドラマ鑑賞の毎日でしたが、雪に覆われた庭に雪解けを待っていたかのように、青梅草が春の日差しを受け綺麗に咲きました。どうにか歩けるまでに体力も回復した12日、以前から鑑賞を予定していた「始皇帝と大兵馬俑」展と、万歩会2月例会の「板橋区赤塚エリア」の下見を兼ね散策しました。
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始皇帝と大兵馬俑展は、今から約2200年前に「最初の皇帝」を名乗り中国大陸に統一王朝を打ち立てた秦の始皇帝。その陵墓ののほど近くに埋められた「兵馬俑」は20世紀最大の発見の一つと詠われています。バリエーション豊かな兵馬俑と始皇帝にまつわる貴重な文物を一堂に紹介し、始皇帝が空前の規模で築き上げた「永遠の世界」の実験に迫る展示会とのこと。 「特別展HPより」

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兵馬俑とは、陶器等を素材にして将軍や兵士軍馬などの人形だという。その兵馬俑の多くは巨大な地下室に収めた。その地下室が兵馬俑抗で、普通は秦の始皇帝の墓所に伴うものを指す。陽志発さんが1974年旱魃に窮した折、井戸を掘ったら2~3mの所から変わった陶器の破片を発見したのがはじめと言う。
今尚、発掘が続けられていますがその数8000とも言われています。
わが国では弥生時代の時期中国では高度な文化があったのには驚くばかりでした。
予習なくみに行ったのでとてもすべてを見ることも、理解することもできませんでした。
帰ってインターネットでどんな展示会だったか読んだだけ良いとしましょう。

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兵馬俑と写真を撮れるコーナーがありましたので記念に撮ってきました。







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常設の仏像なども見て回りました。兵馬俑とは違い懐かしさを感じます。
国宝 広目天立像
木造・京都浄瑠璃寺・平安時代・12世紀作
平安後期の神将形像を代表する美作として著名な四天王像中の1躯。












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重要文化財 木造十二神将立像 
木造・神奈川・曹源寺・鎌倉時代・12~13世紀





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赤塚氷川神社
長禄元年(1457)に赤塚城主千葉自胤が武蔵国一宮氷川神社より分霊を勧請してここに祀る。上赤塚村の鎮守。参道にはケヤキや桜などの古木が続く。


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康成2年(1456)成氏方の軍勢に攻められた千葉実胤・自胤(よりたね)兄弟は、上杉家の助けを受け、市川城を逃れて赤塚城と白浜城へ入城しました。
寛正4年(1468)に兄の跡を継いだ自胤は、太田道灌に従って各地を転戦、武蔵千葉市の基盤を築きました。北条氏が武蔵国へ進出してくるとこれに従い、豊臣秀吉に滅ぼされる天正18年(1590)まで勢力をふるいました。


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赤塚城址の梅林は梅畑であったものを農家から譲り受け、平成7年6月から公園として楽しんで頂いています。
種類は白加賀200本が植えられ、青軸系の梅や杏子なども新しく植えられていました。
3月に入れば見ごろとなるでしょう。


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東京大仏が鎮座する乗蓮寺は昭和46年に板橋区仲宿からここ赤塚に移転した寺院とのこと。徳川家康公より10石の朱印地を寄進された格式のある寺院。
東京大仏は、東京大空襲、関東大震災などの悲惨な戦災、震災が起きないように願いを込めて、昭和52年に建立されました。高さ13メートルの青銅製で32トンもあり、青銅製鋳造大仏では奈良・鎌倉に次日本3位の大仏である。
近くにある赤塚植物園には600種の植物が植栽され、3月になると次々と早春の花が楽しませてくれるとのこと。







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水車公園の水車は修理中でしたが、水が流れる日本庭園には、紅梅・白梅がほころんで、狭いながらも美しく心落ち着く公園です。茶室「徳水亭」もあります。

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